手帳はアルバム
手帳って、書いて忘れるためにあると思う。
2017年になったので新しい手帳を買った。
今まで使っていたマンスリータイプではなく、書くスペースがたくさんあるウィークリータイプ。
私は2ヵ月先まで予定を立てるタイプだが、2ヵ月も先の予定を立ててしまうと、当然だがそんなものは覚えていられなくなる。
でも、その予定を立てたのには何かしらの理由があって、自分なりにいろいろ考えた結果の、その予定だと思う。
だけど、何をどう考えたのかいちいち覚えておくことなんかできやしなくて。
だからこそ、その「何をどう考えたのか」という答えのヒントになるような ”小さなメモ”としての予定を手帳に書いておく。
そして、そんな細かい理由や考えは頭から排除してしまっても、そのメモを見ればそれらが概ね思い出せる、というメカニズム。
忘れるために、書く。
これって実はすごく大切なことだと思う。
そもそも「書く」という行為自体が好きだと言うのもある。
スケジュール帳がだんだんカラフルになったり、埋まってきたりするのを見るのが楽しいというのも、あると思う。
かと言って、例えば授業だとかバイトだとか習い事だとかを全て文字で書くのは非効率的だし、大変見にくい。
だからシールやマークなどを利用して、より見やすく効率的なスケジュール帳にしている。
最近では、スマホでスケジュール管理する人も増えてきたように思う。
でも、私はあくまでもアナログなスケジュール帳派だ。
高校生の頃から、ずっとそうしてきたからもう何冊もスケジュール帳が溜まっている。
時々、それらを見返して思い出に耽ってしまうこともあるが、これがなかなか面白い。
ある種のアルバムなのだ。
これも、スケジュール帳の醍醐味なのかもしれない。
私は今後もきっとスケジュール帳と共に生きていくんだろうなとふと思った。